Diary 


2024/02/13
カッコウとホトトギスは姉妹
◆杜鵑の話に一区切りを付けて後に、ふっと「遠野物語」に鳥の話が四つ五つあり、その中に郭公と時鳥について書かれていたことを思い出した。それで本棚をあちこち捜索して、ちくま文庫の一冊を掘り出した。その53話は「郭公(カッコウ)と時鳥(ホトトギス)とは昔ありし姉妹なり」から始まる。

2024/02/11
アカツクシガモをなんとか
◆列島への飛来数がとても少ないというこのカモ、ツクシガモの名を持つとは云え、アカツクシとツクシとでは、嘴の形や羽色の配合などかなり差異があり過ぎの感。昨日飛来情報をもらったので、早速行ってみたのだが・・・警戒心強くなかなか接近してくれなかった。結局、証拠写真程度しか撮れず。左が♂で、顔の白っぽさが比較的目立つ右の個体が、もしかしたら♀かも。


2024/02/09
天気も良いで山へ上がる
◆昨年末、クマタカの様子伺いに行ったら、雌雄が判別できないものの・・♂かな?ちょうど大きな枯れ枝を掴んで、谷奥へと姿を消すシーン遭遇した。その後どうしているか気になりつつも、行けてなかった。
◆今日は朝から天気に恵まれ、久しぶりに現地を訪れてみたところ、二度三度と姿を見せ、また、一度はしきりとディスプレー・フライトをしてくれた。近くにツガイの片方は確認できなくて??と思っていたら、その個体の直上の高高度に、二つの黒点を発見。この二羽はトビ?でもなくて、クマタカではないかと感じた。このディスプレー行動は、上空の二羽への自身の縄張りを示威する行動だったろうか?
◆今日の個体は、左翼の初列風切羽の一枚が先端部を失っているので、年末に見た枝を運んでいたクマタカと同一個体と思われた・・・・・・こんな風に、生きとし生けるものの「自ずから然なる」を見せられると、いつも心が洗われると言うか、撮影も忘れてついつい無心に、見入ってしまうことがある。


2024/02/06
杜鵑(とけん)花の効能
◆杜鵑花だと日本ならホトトギスという草花になるが、先述したようにツツジ、あるいはサツキといった低木。かっては赤色が主流だったかと思われるが、今日ではネット検索すると多種多様な花柄が出ている。面白いことに、子規鳥が血を吐き、その滴った血が花となった杜鵑花には、古来傷を癒やしたり止血作用のあることが知られてる。
◆ところでこの連作の最後に、李白について少し触れてみる。李白の育ったのは蜀−今日の四川省であるが、生まれたのは西域だったそうで、中原のいわゆる言うところの漢人ではなかった。東アジア的な風貌では全くなくて、ウイグルやイランなどの中央アジア系の顔をして、目も青かった可能性が高い。岑参の詩句にある「髯髯緑眼」でもあろうか。
◆君 聞かずや 胡笳の声 最も悲しきを
 紫髯 緑眼の 胡人 吹く
 一曲吹いて なお未だ了わらざるに
 愁殺す 楼蘭 征戍の児
 涼秋 八月 簫関の道
 北風 吹断す 天山の草
 崑崙山南 月 斜めならんと欲す
 胡人 月に向かいて 胡笳を吹く
 ・・・・・・・・
 ( 顔真卿の旅立ちに際して贈った詩 ) 杜鵑owari

2024/02/05
杜鵑と子規そして不如帰
◆むかし蜀の国の望帝が帝位を奪われ、他国へ亡命して死んだ。後にその魂がホトトギスとなり、春になると「不如帰去(かえりたい)」と啼いた。啼くときに血を吐き、その血が滴り落ちて杜鵑花になったと云う。また、ホトトギスの口の中が真っ赤なのは、その吐いた血のためだと云う。
◆子規と云えばやはり、漱石とも深い親交のあった正岡子規だろう。彼は22歳のころ喀血しているが、その頃に俳号(筆名)を子規としたようで、俳句雑誌「ホトトギス」の創刊は、結核・脊椎カリエスによる死の5年前だった。このことからも、彼が文字通りに血を吐きつつ苦吟した姿を想像できるのではないかと・・・・もちろん俳句についても、私は門外漢ではある。
◆望帝の魂が乗り移った子規が「不如帰去」帰りたい−と啼いたとあったが、ここからタイトルを取ったのが徳富蘆花の「不如帰」だったろう。小説発刊当初は「ふじょき」と読まれたようだが、いつの間にか「ホトトギス」と読まれるようになった。これが脚色されて、新派演劇の当たり狂言となったものだが、まぁ乱暴な言い方をすれば、ヒロインが結核で喀血して不幸な運命をたどる・・と、まぁ、そんなところだったか?もちろん、演劇や小説についても、私は門外漢ではある。

2024/02/04
宣城見杜鵑花
◆晴耕雨読ってわけでもないけれど、最近中国詩詞本を開いたら李白のこの七言絶句が出た。杜甫の鴛鴦(オシドリ)同様に、鳥が顔を覗かせる詩詞の代表例の一つかな・・・詩詞に詳しくないのでわからないが。杜鵑とはここではホトトギスを指すが、同種のカッコウ・ツツドリを含めて杜鵑類とも呼ばれる。
◆さて、詩題は「宣城(現安徽省)で杜鵑花(赤花のツツジの一種)を見る」である。
 蜀国曽聞子規鳥 蜀国にてかつて聞く子規の鳥
 宣城還見杜鵑花 宣城また見る 杜鵑の花
 一叫一廻腸一断 一叫 一廻 腸(はらわた)一断
 三春三月憶三巴 三春 三月 三巴を憶(おも)う
◆李白は蜀の国でかって子規(ホトトギス)の声をきいたことがあると言ってる。蜀とは現在の四川省あたり、李白の育った郷里と言っていい。そして、今宣城に来てまた杜鵑(ホトトギス)という名の花を見ている。順序としては多分・・・杜鵑花を見てから、昔聞いた子規鳥の鳴き声を思い出し、故郷を懐かしく想起したものであろう。
◆子規は故郷へ帰りたい帰りたいと、場を移りながら悲痛に啼き続けたと・・・そのために、腸が千切れて血を吐くというのが、この詩の下敷きとなった民間伝承らしい。中国ではホトトギスの声が、望郷の悲痛な鳴き声に聞こえたらしい。子規が啼き始め、杜鵑花が咲くのも春3月、3月は春の盛りだ。故郷の蜀(三巴と意味同じ)が恋しい−というのが、結句のようである。  
           ーつづくー


2024/01/31
もう1月も最終日
◆このところ動けてなくて、鳥との出会いもなく・・・と言っても、たまに裏山の林道に上がってみるものの、深閑として何もいない。書斎でPCの画像ファイルを処分していたら、珍しくもないがカワガラスか出て来たので、その内の3態をここに残しておこうと。
◆明日からは気分を一新して、書を捨てフィールドを目指そう!


2024/01/17
名にし負はば・・・・・
◆共通テストについてだらだら書き散らかしていたら、肝心のミヤコドリのことを書き漏らした。武蔵と下総国の境を流れる隅田川で、渡し守が「これなむ都鳥」と言ったのは、この鳥のことらしい。初めて遭遇できたものの近くに来てくれず、あまつさえ邪魔が入ったりで、証拠写真程度の画像しか撮れず。
◆伊勢物語には「白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば・・・ 」とある。だがさて、この鳥の第一印象「白い」だろうか?どちらかと言えば「黒っぽい」感が勝るのでは。都鳥=ユリカモメなら白い鳥は合致するのだが、嘴と脚はさほど赤くはない。やはりこの物語の主人公たちが見たのは、ミヤコドリだったろうか、ただし、「水の上で遊びつつ魚をくふ」のは、もしかするとユリカモメの生態に近いかも・・・・


2024/01/16
霜葉紅於二月花
世界史Bを途中止めして、新聞の共通テストの国語を開いてみると、小さい縦書き文字がビッシリ・・・こりゃルーペでないと。読むのを諦めていると、比較的ゆったりと印字された部分が目に入った。何かな?と思って注視すると、漢詩・漢文の問題で「華清宮」が載せてあった。ほほぉ〜漢詩文がこの国の人々にとって、現代においてなお基礎教養と考えられているか?この点いささか疑問も湧いたし、さらには、問題の漢詩文への脚注が、19個も付けてあったことにも驚かされた。
◆6つの設問のうち、4問までの解答は比較的簡単だったが、残る2問は「わざわざ・くどく」捻った・・・そんな解の選択肢を並べた感がありました。このワザワザ・クドクド・ネチネチな選択肢に翻弄され、私は1問の解を外してしまいました。
◆杜牧の「華清宮」はこれまで何回か開いたこともあり、問題は容易かった。華清宮のあった華清池の畔を歩いたこともあった。西安事変で張学良が蒋介石を捕捉した「捉蒋亭」ってのも・・・・・・しかしもう皆んな、歴史の中に消えてしまった。

2024/01/14
大秦景教流行碑の記憶
◆新聞を開いたら、大学入学共通テストが掲載されていた。何んの気なしにざぁ〜と眺めていたら、世界史Bに小さな石碑の写真が目に入った。どことなく既視感が湧いて、目を細めて小さな文字の設問を読み始めて、あぁ・・これは曽て西安碑林で見た「大秦景教流行中国碑」だと解った。
◆大秦とはローマ帝国を指し、景教とはネストリウス派のキリスト教で、当時ローマ渡来の宗教が流行していたことを証明する有名な碑石。しかし設問を読み進めて、キリスト教を帝国の公認宗教としたローマ皇帝の名前は・・・さて誰だったか?記憶の引き出しは錆びついて開かず、テストの6択の解答が決しかねた次第。
◆あの時、西安碑林では他にも「顔氏家廟之碑」をはじめ「大唐三蔵聖教序記」など、多くの石碑や石像彫刻などを見て回ったが・・・西安の夏はなんとも暑かった。
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