Diary 


2024/02/05
杜鵑と子規そして不如帰
◆むかし蜀の国の望帝が帝位を奪われ、他国へ亡命して死んだ。後にその魂がホトトギスとなり、春になると「不如帰去(かえりたい)」と啼いた。啼くときに血を吐き、その血が滴り落ちて杜鵑花になったと云う。また、ホトトギスの口の中が真っ赤なのは、その吐いた血のためだと云う。
◆子規と云えばやはり、漱石とも深い親交のあった正岡子規だろう。彼は22歳のころ喀血しているが、その頃に俳号(筆名)を子規としたようで、俳句雑誌「ホトトギス」の創刊は、結核・脊椎カリエスによる死の5年前だった。このことからも、彼が文字通りに血を吐きつつ苦吟した姿を想像できるのではないかと・・・・もちろん俳句についても、私は門外漢ではある。
◆望帝の魂が乗り移った子規が「不如帰去」帰りたい−と啼いたとあったが、ここからタイトルを取ったのが徳富蘆花の「不如帰」だったろう。小説発刊当初は「ふじょき」と読まれたようだが、いつの間にか「ホトトギス」と読まれるようになった。これが脚色されて、新派演劇の当たり狂言となったものだが、まぁ乱暴な言い方をすれば、ヒロインが結核で喀血して不幸な運命をたどる・・と、まぁ、そんなところだったか?もちろん、演劇や小説についても、私は門外漢ではある。

2024/02/04
宣城見杜鵑花
◆晴耕雨読ってわけでもないけれど、最近中国詩詞本を開いたら李白のこの七言絶句が出た。杜甫の鴛鴦(オシドリ)同様に、鳥が顔を覗かせる詩詞の代表例の一つかな・・・詩詞に詳しくないのでわからないが。杜鵑とはここではホトトギスを指すが、同種のカッコウ・ツツドリを含めて杜鵑類とも呼ばれる。
◆さて、詩題は「宣城(現安徽省)で杜鵑花(赤花のツツジの一種)を見る」である。
 蜀国曽聞子規鳥 蜀国にてかつて聞く子規の鳥
 宣城還見杜鵑花 宣城また見る 杜鵑の花
 一叫一廻腸一断 一叫 一廻 腸(はらわた)一断
 三春三月憶三巴 三春 三月 三巴を憶(おも)う
◆李白は蜀の国でかって子規(ホトトギス)の声をきいたことがあると言ってる。蜀とは現在の四川省あたり、李白の育った郷里と言っていい。そして、今宣城に来てまた杜鵑(ホトトギス)という名の花を見ている。順序としては多分・・・杜鵑花を見てから、昔聞いた子規鳥の鳴き声を思い出し、故郷を懐かしく想起したものであろう。
◆子規は故郷へ帰りたい帰りたいと、場を移りながら悲痛に啼き続けたと・・・そのために、腸が千切れて血を吐くというのが、この詩の下敷きとなった民間伝承らしい。中国ではホトトギスの声が、望郷の悲痛な鳴き声に聞こえたらしい。子規が啼き始め、杜鵑花が咲くのも春3月、3月は春の盛りだ。故郷の蜀(三巴と意味同じ)が恋しい−というのが、結句のようである。  
           ーつづくー


2024/01/31
もう1月も最終日
◆このところ動けてなくて、鳥との出会いもなく・・・と言っても、たまに裏山の林道に上がってみるものの、深閑として何もいない。書斎でPCの画像ファイルを処分していたら、珍しくもないがカワガラスか出て来たので、その内の3態をここに残しておこうと。
◆明日からは気分を一新して、書を捨てフィールドを目指そう!


2024/01/17
名にし負はば・・・・・
◆共通テストについてだらだら書き散らかしていたら、肝心のミヤコドリのことを書き漏らした。武蔵と下総国の境を流れる隅田川で、渡し守が「これなむ都鳥」と言ったのは、この鳥のことらしい。初めて遭遇できたものの近くに来てくれず、あまつさえ邪魔が入ったりで、証拠写真程度の画像しか撮れず。
◆伊勢物語には「白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば・・・ 」とある。だがさて、この鳥の第一印象「白い」だろうか?どちらかと言えば「黒っぽい」感が勝るのでは。都鳥=ユリカモメなら白い鳥は合致するのだが、嘴と脚はさほど赤くはない。やはりこの物語の主人公たちが見たのは、ミヤコドリだったろうか、ただし、「水の上で遊びつつ魚をくふ」のは、もしかするとユリカモメの生態に近いかも・・・・


2024/01/16
霜葉紅於二月花
世界史Bを途中止めして、新聞の共通テストの国語を開いてみると、小さい縦書き文字がビッシリ・・・こりゃルーペでないと。読むのを諦めていると、比較的ゆったりと印字された部分が目に入った。何かな?と思って注視すると、漢詩・漢文の問題で「華清宮」が載せてあった。ほほぉ〜漢詩文がこの国の人々にとって、現代においてなお基礎教養と考えられているか?この点いささか疑問も湧いたし、さらには、問題の漢詩文への脚注が、19個も付けてあったことにも驚かされた。
◆6つの設問のうち、4問までの解答は比較的簡単だったが、残る2問は「わざわざ・くどく」捻った・・・そんな解の選択肢を並べた感がありました。このワザワザ・クドクド・ネチネチな選択肢に翻弄され、私は1問の解を外してしまいました。
◆杜牧の「華清宮」はこれまで何回か開いたこともあり、問題は容易かった。華清宮のあった華清池の畔を歩いたこともあった。西安事変で張学良が蒋介石を捕捉した「捉蒋亭」ってのも・・・・・・しかしもう皆んな、歴史の中に消えてしまった。

2024/01/14
大秦景教流行碑の記憶
◆新聞を開いたら、大学入学共通テストが掲載されていた。何んの気なしにざぁ〜と眺めていたら、世界史Bに小さな石碑の写真が目に入った。どことなく既視感が湧いて、目を細めて小さな文字の設問を読み始めて、あぁ・・これは曽て西安碑林で見た「大秦景教流行中国碑」だと解った。
◆大秦とはローマ帝国を指し、景教とはネストリウス派のキリスト教で、当時ローマ渡来の宗教が流行していたことを証明する有名な碑石。しかし設問を読み進めて、キリスト教を帝国の公認宗教としたローマ皇帝の名前は・・・さて誰だったか?記憶の引き出しは錆びついて開かず、テストの6択の解答が決しかねた次第。
◆あの時、西安碑林では他にも「顔氏家廟之碑」をはじめ「大唐三蔵聖教序記」など、多くの石碑や石像彫刻などを見て回ったが・・・西安の夏はなんとも暑かった。

2024/01/11
オオノスリを掘り出す
◆最近時間のあるときは、PCに取り込んだままにしている用無しとなった画像の削除。撮影日ごとに積まれたファイルを、順次中身をざっと見渡して、こりゃもう活用することナシと即断した画像を、どんどんシフトキーで括って削除。日付ファイル丸ごと削除するのこともしばしば。このところドライブやHDがだいぶ軽くってきたように思う。
◆ところで、さて、ずーと以前に撮った「白いノスリ」の画像が気になって、時折り探してみたりしていたのだが・・・。これまで3回ほど白ノスリとの遭遇があって、何れの時もノスリの白化したものか、幼鳥か?などと、余り気にしていなかった。Win7からWin10へPCを移行したり、HDやNetのHDなどのたまった画像データを、移し替えたりまた統合したりしている間に、データの森に埋もれてしまったらしい。
◆それが、今日開いたフォルダーから見つかった。それで、撮ってから数年経って改めて、ジックリこの白いノスリを検証したところ、ノスリではなく、また、ケアシノスリでもなくて、なんと、オオノスリではないか!と自己判定。ネットでいろいろ検索して調べてみたが、間違いないようだ。


2024/01/08
白と黒
◆昨日奈義・勝央の田園地帯を回ったら、那岐連山(東から那岐山−滝山−広戸仙−山形仙)に全く雪なく、珍しい正月景色だったが、今朝起きて津山盆地に積雪を見る。さぞや那岐連山は壮麗な雪化粧となったであろう−そう思いながら、冷気を突いてプラごみを出しに行く。すると‥‥
◆ゴミ・ステーション近く、一面の銀世界と化した田圃に50羽ほどのカラス集団が、しきりと地面を掻きまわしながら何かを啄んでいる。このところ近所回りでカラスが徘徊していたことに気付いてはいたが、そうかミヤマガラスだったのか。帰宅してカメラを積んでリターン、雪の中のカラスを撮ってみた。
◆早朝で曇り空と条件は悪く、やはりシノリガモと一緒で目が出ない。昨日撮った{白と黒}のミコアイサと、ここにアップしておくことに。


2024/01/06
シノリガモには苦戦2
◆機会があれば次回、またまたチャレンジだなぁ・・・


2024/01/06
シノリガモには苦戦1
◆この鳥はなぜにほど良い彩色に写せないのか・・・全体的にはほぼ順光で、撮影条件は悪くなかったはずなのに。PCに取り込んでじっくり確認していくと、いささかガックリ感否めず。♀はジミ系なので仕方ないが、♂の白・黒・赤コーディネートは、けっこうインパクトがあるはずなんだが・・・その上、ガングロに邪魔されてか目が生きてない。まぁこちらにウデがないので、今更ダダをこねても仕方がないが。

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