Diary 


2024/03/23
小鳥でおもしろいものは
◆梁塵秘抄には「すぐれて速きもの ハイタカ ハヤブサ 手なるタカ・・・*カタカナの原文はいずれも漢字」とある。12世紀に収集された流行唄の中に、現代人にも身近な野鳥の足跡が残されていて、興味深いものがある。速きものの筆頭にタカ類があがり、次いで、滝の水ー柴車ー三所五所の神々への祈りと続く。神々へ祈れば霊験がたちどころに現われる・・・という意味であろう。
◆また、このような今様もあったようで・・・
 小鳥の様がるは(*おもしろいのは) 四十雀(しじふからめ) 鶸鳥(ひはどり) 燕(つばくらめ) 三十二相足らうたる啄木(てらつつき) 鴛鴦(をし) 鴨(かも) 立+鳥(そひ) 鳰鳥(にほどり) 川に遊ぶ
 シジュウカラ・マヒワ・ツバメ・キツツキ・オシドリ・カモ・カワセミ・カイツブリの順に登場しているようだ。川に遊ぶーは、オシドリ以下を受けたものであろう。12世紀の列島の人々にとっても、これらの野鳥が身近で愛らしい存在であったことがわかる。なお啄木=テラツツキの由来は、寺などの柱を突いて穴を空ける習性によるものか。
 *画像は左から、シジュウカラ・マヒハ・カワセミ


2024/03/12
クマタカの冠羽
◆クマタカの名に「クマ」の付く由縁は、クマのように大きいとか、クマのように強いとか言われている。それだけではなく、私は成鳥クマタカの顔が黒一色で、遠目からみるとほとんど熊の顔に見える。そんなところも、名付けの一因になったかと考えているところ。顔黒な上にさらに冠羽が立つと、クマタカは一層精悍な姿になるのだが、そんなシーンはなかなか撮れない。


2024/03/10
クマタカ家族
◆2月に遭遇した西のクマタカの若、その後ずっと行けてなかった。今もあの山の斜面に居て、ピーピー啼いてくれると見つけやすいのだが・・・。現地に着いてみると山の斜面は雪模様、常緑樹や落葉樹の中にいても、胸腹が白いクマタカの若はすぐ見つかるのだが、木々の着雪に邪魔されて、さてさてどこにいるやら・・・。
◆この山腹にきっと居るはずだと、とにかく待つ。すると、どこからか鳴き声がピーピー、ピーピー。それでも、着雪のせいで発見できない状態が続き、飛び出してくれたのでやっと見つけることができた。若の飛翔を追跡している矢先で、突然別の個体が山腹から飛び出してきてビックリ。あれ!親クマがいたのか!
◆とりあえず若クマは置いといて、急遽カメラは親クマを追うことに変更。悠然たる親クマの旋回・上昇運動を追った後、改めて若クマの姿を探すが、見つけられない。またまた啼き声頼り捜索・・・そんなことを繰り返していると、突然視界に別の個体が飛び込んでくる。あれ!これはさっきの親クマか?ではないか??またまたカメラは若クマから、急遽こちらを追うことになって・・・。
◆結局クマタカが3個体撮れたわけで、クマタカの前と後の成鳥は、羽の傷や傷み具合などから別々の個体と判明。状況からしてここの若クマタカの父・母と判断できそうで、クマタカ家族が結集したことに、間違いなさそう。雌雄がどうなのかはよくわからん。


2024/02/28
梁塵秘抄の仏法僧
◆昨日は朝駆けして山陰へプチ遠征を企画したのだが、あいにく前夜半から峠は雪模様。とっとり雪道ナビのモニターで、人形峠越え見てると・・・路面はどんどん真っ白に。それでなくても冷え込む未明の峠越えをあきらめて、万全を期して米子道経由へと予定を変更す。高速に上げってみると湯原IC〜江府IC間には、冬用タイヤ規制がかかっていたが、スムースに走り抜けて予定の時間には現地着到、狙っていた野鳥も観察できた。この続きはまたの機会にとして・・・・
◆梁塵秘抄は「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん」の口碑で有名だが、収録された当時の俗謡のなかに、ブッポウソウが含まれていることは、だいぶ以前に気が付いていた。平安末期にはすでに「ぶっぽうそう」と啼く鳥を、仏法僧と書き慣わしていたようだ。

  <梁塵秘抄第二巻182> 迦葉尊者の石の室 祇園精舎の鐘の声 醍醐の山には仏法僧 鶏足山には法の声

◆「醍醐寺は京都府伏見区内にあり、真言宗の名刹。仏法僧は鳥の名、鳴き声がブッポウソウと聞こえることに由来する。醍醐寺の仏法僧は有名であった。」新潮社の日本古典集成の注釈にはこうあるのだが、当時もこの鳥が実際に啼いてる姿は見ていなかったようだ。というのも「ぶっぽうそう」と啼く鳥が、古来からその名を負うブッポウソウではなく、全く別の鳥だったことがわかった。それが明らかになったのが1935年で、この啼き声の主がコノハズクだった。小学生だったころ、この発見の経緯を雑誌で読んだ記憶や、また一度きりではあるが、醍醐寺に行ったことなども思い出した。
 (左:鳥名ブッポウソウ 中:声の主のコノハズク 右:コノハズクの雛)


2024/02/24
野鳥でなく「団塊世代の男たち」フォト展
◆この場を借りて、2月20日に紹介した我が友人の写真展が、NHK岡山のローカルニュースに、昨日アップされていました。私は見てなかったのですが、友人知人から何件か連絡をもらったので、ネット検索して掘り出してみました。( 明日がいよいよ最終日となります。)
https://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/20240223/4020019545.html

2024/02/22
馬追鳥(うまおいどり)を考える
◆馬追鳥という鳥が、むかし遠野地方にいたらしい。先にもふれた柳田の「遠野物語」には、このように載せてある。
 「馬追鳥は時鳥(ほととぎす)に似て少し大きく、羽の色は赤に茶を帯び、肩には馬の綱のようなる縞あり。胸のあたりにクツゴコのようなるかたあり。これもある長者が(の)家の奉公人、山へ馬を放しに行き、家の帰らんとするに一匹不足せり。夜通しこれを求めあるきしにが、ついにこの鳥となる。」
◆馬を探していた奉公人が鳥に化して、馬追鳥になったそうである。さて、ホトトギスに似た鳥で羽の色が赤茶色となると、同じホトトギスでも赤色型のホトトギスか、もしくは赤色型のツツドリぐらい。ツツドリの幼鳥の羽色が、光の反射で赤茶黒に見えることも。だが、ホトトギスより少し大きいとあるので、ツツドリ赤色型だったろうと推理してると・・・
◆遠野物語はこう続いていた。「 ・・・アーホー、アーホーと啼くはこの地方にて野におる馬を追う声なり。年により馬追鳥里に来て啼くことあるは飢饉の前兆なり。深山には常に住みて啼く声を聞くなり。」で終わる。ツツドリが「アーホー」と啼くとは思えず、さりとてホトトギスとも考えられない。
◆それで思いついたのが、もしかしたら馬追鳥は「カッコウの幼鳥」ではなかったか・・・ということである。ホトトギスが27.5cmに対してカッコウ35cmと大きいこと。また、カッコウは幼鳥時に限って、赤に茶の混じった羽をしてること。幼鳥ゆえに「カッコー」と明瞭な発声ができずに「ァッーホー」と、遠野地方の人々の耳には聞こえたのではないか、その可能性が極めて高いと思われた。
( 画像は 左:カッコウ幼鳥 中:ホトトギス赤色型 右:ツツドリ赤色型?イヤ〜左と同じカッコウ?かな・・・笑 )


2024/02/20
野鳥じゃなくてヒトの写真展へ
◆我が友人の写真家女史が、今日からフォト展を開催するので、会場の津山文化センターへ行って来ました。しばらく・・・と言っても、さてさて最後に訪れたのはいつだったか?もしかしたら、オンシアター自由劇場の「上海バンスキング」以来になるかもしれん。薬研堀は埋まらず残ってましたが、文化センターの入り口は、すっかり様変わりしてました。
◆会場で、全く予想もしてなかった友人のOさんにバッタリ、これにはビックリしました。聞くと本日受付されてる方が、たまたまご友人だそうで。展示された人物写真群の中に、私が挟まっていることに気づかれ、Oさんもさぞや驚かれたかと。


2024/02/18
山に雪なし
◆昨年のちょうど今頃は、奥山で雪中のヤマドリが撮れたのだが、今年現地へ行ってみると高山の頂上付近や、山の日陰の斜面に残雪が見える程度。天気続きのこの土日と、短時間ながら回ってみたのだが・・・こんなに雪のない冬は、いままで経験したことがない。野鳥も面食らっているのでは?今日は空からヒバリの声が聞こえていた。
◆Bポイントのクマタカは、前回と同じ山の斜面に、昨年生まれた若鳥が白っぽい姿を現わした。ヤマセミは二カ所で観察できたが、遭遇戦では撮り勝つのは不可能に近い。クマタカ若もだけど、本日は枝被り2枚。


2024/02/15
ヒレンジャクが2〜3百羽も
◆朝方の9時過ぎ、鳥友からLINEで「高専橋の付近にレンジャクの群」との知らせ。家からそこまでだと、ものの7〜8分ってところ。取るもの取りあえず、撮るものを車に載せて柳通りを南下してみる。柳通りとは言うものの、川沿いに桜並木はあるが、レンジャクが集まりそうな実のなる木は・・・あったかな?
◆車を停めて辺りを見渡していると、桜並木から頭を出した雑木に30羽ばかりの集団を確認。さて撮ろうと接近するも、繁った桜の枝に邪魔され天気はどん曇りで、コンディションはなんとも最悪。その後、レンジャク集団は移動しつつ、離合集散を繰り返しながら、総合体育館の大木群や付近の電線に巨大な集団を作る。200から300ぐらいにはなったか。
◆この大集団も、突然四散してしまった。?あれ・・・と思って見渡すと、曇り空にハイタカの飛ぶ姿が。レンジャク画像を後で確認してみると、ヒレンジャクのなかに数羽はキレンジャクがいたことがわかる。今年はレンジャクの当たり年かも?


2024/02/14
柳田國男の遠野物語五三
 − 読まれた方もあると思うのだが −
◆郭公と時鳥とは昔ありし姉妹なり。郭公は姉なるが、ある時芋(馬鈴薯)を堀りて焼き、そのまわりの堅き所を自ら食い、中の軟かなる所を妹に与えたりしを、妹は姉の食う分はいっそう旨かるべしと想いて、包丁にてその姉を殺せしに(姉は)たちまちに鳥となり、ガンコ、ガンコと啼きて飛び去りぬ。ガンコは方言にて、堅い所ということなり。
 妹、さてはよき所をのみ(姉が)おのれにくれしなりけりと思い、悔恨に堪えず。やがてまた、これ(妹)も鳥になりて「包丁かけた」と啼きたりという。遠野にては時鳥のことを「包丁かけ」と呼ぶ。盛岡辺にては時鳥は「どちゃへ飛んでた」と啼くという。 *()は私的な補記で「」は原文にない。
◆鳴き声がカッコーではなくガンコ−に、、ホトトギスのトッキョキョカキョクは、ホウチョウーカケとかドチャヘトンデタという風に、遠野や盛岡地方では聞こえたようである。
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