Diary 


2024/02/20
野鳥じゃなくてヒトの写真展へ
◆我が友人の写真家女史が、今日からフォト展を開催するので、会場の津山文化センターへ行って来ました。しばらく・・・と言っても、さてさて最後に訪れたのはいつだったか?もしかしたら、オンシアター自由劇場の「上海バンスキング」以来になるかもしれん。薬研堀は埋まらず残ってましたが、文化センターの入り口は、すっかり様変わりしてました。
◆会場で、全く予想もしてなかった友人のOさんにバッタリ、これにはビックリしました。聞くと本日受付されてる方が、たまたまご友人だそうで。展示された人物写真群の中に、私が挟まっていることに気づかれ、Oさんもさぞや驚かれたかと。


2024/02/18
山に雪なし
◆昨年のちょうど今頃は、奥山で雪中のヤマドリが撮れたのだが、今年現地へ行ってみると高山の頂上付近や、山の日陰の斜面に残雪が見える程度。天気続きのこの土日と、短時間ながら回ってみたのだが・・・こんなに雪のない冬は、いままで経験したことがない。野鳥も面食らっているのでは?今日は空からヒバリの声が聞こえていた。
◆Bポイントのクマタカは、前回と同じ山の斜面に、昨年生まれた若鳥が白っぽい姿を現わした。ヤマセミは二カ所で観察できたが、遭遇戦では撮り勝つのは不可能に近い。クマタカ若もだけど、本日は枝被り2枚。


2024/02/15
ヒレンジャクが2〜3百羽も
◆朝方の9時過ぎ、鳥友からLINEで「高専橋の付近にレンジャクの群」との知らせ。家からそこまでだと、ものの7〜8分ってところ。取るもの取りあえず、撮るものを車に載せて柳通りを南下してみる。柳通りとは言うものの、川沿いに桜並木はあるが、レンジャクが集まりそうな実のなる木は・・・あったかな?
◆車を停めて辺りを見渡していると、桜並木から頭を出した雑木に30羽ばかりの集団を確認。さて撮ろうと接近するも、繁った桜の枝に邪魔され天気はどん曇りで、コンディションはなんとも最悪。その後、レンジャク集団は移動しつつ、離合集散を繰り返しながら、総合体育館の大木群や付近の電線に巨大な集団を作る。200から300ぐらいにはなったか。
◆この大集団も、突然四散してしまった。?あれ・・・と思って見渡すと、曇り空にハイタカの飛ぶ姿が。レンジャク画像を後で確認してみると、ヒレンジャクのなかに数羽はキレンジャクがいたことがわかる。今年はレンジャクの当たり年かも?


2024/02/14
柳田國男の遠野物語五三
 − 読まれた方もあると思うのだが −
◆郭公と時鳥とは昔ありし姉妹なり。郭公は姉なるが、ある時芋(馬鈴薯)を堀りて焼き、そのまわりの堅き所を自ら食い、中の軟かなる所を妹に与えたりしを、妹は姉の食う分はいっそう旨かるべしと想いて、包丁にてその姉を殺せしに(姉は)たちまちに鳥となり、ガンコ、ガンコと啼きて飛び去りぬ。ガンコは方言にて、堅い所ということなり。
 妹、さてはよき所をのみ(姉が)おのれにくれしなりけりと思い、悔恨に堪えず。やがてまた、これ(妹)も鳥になりて「包丁かけた」と啼きたりという。遠野にては時鳥のことを「包丁かけ」と呼ぶ。盛岡辺にては時鳥は「どちゃへ飛んでた」と啼くという。 *()は私的な補記で「」は原文にない。
◆鳴き声がカッコーではなくガンコ−に、、ホトトギスのトッキョキョカキョクは、ホウチョウーカケとかドチャヘトンデタという風に、遠野や盛岡地方では聞こえたようである。

2024/02/13
カッコウとホトトギスは姉妹
◆杜鵑の話に一区切りを付けて後に、ふっと「遠野物語」に鳥の話が四つ五つあり、その中に郭公と時鳥について書かれていたことを思い出した。それで本棚をあちこち捜索して、ちくま文庫の一冊を掘り出した。その53話は「郭公(カッコウ)と時鳥(ホトトギス)とは昔ありし姉妹なり」から始まる。

2024/02/11
アカツクシガモをなんとか
◆列島への飛来数がとても少ないというこのカモ、ツクシガモの名を持つとは云え、アカツクシとツクシとでは、嘴の形や羽色の配合などかなり差異があり過ぎの感。昨日飛来情報をもらったので、早速行ってみたのだが・・・警戒心強くなかなか接近してくれなかった。結局、証拠写真程度しか撮れず。左が♂で、顔の白っぽさが比較的目立つ右の個体が、もしかしたら♀かも。


2024/02/09
天気も良いで山へ上がる
◆昨年末、クマタカの様子伺いに行ったら、雌雄が判別できないものの・・♂かな?ちょうど大きな枯れ枝を掴んで、谷奥へと姿を消すシーン遭遇した。その後どうしているか気になりつつも、行けてなかった。
◆今日は朝から天気に恵まれ、久しぶりに現地を訪れてみたところ、二度三度と姿を見せ、また、一度はしきりとディスプレー・フライトをしてくれた。近くにツガイの片方は確認できなくて??と思っていたら、その個体の直上の高高度に、二つの黒点を発見。この二羽はトビ?でもなくて、クマタカではないかと感じた。このディスプレー行動は、上空の二羽への自身の縄張りを示威する行動だったろうか?
◆今日の個体は、左翼の初列風切羽の一枚が先端部を失っているので、年末に見た枝を運んでいたクマタカと同一個体と思われた・・・・・・こんな風に、生きとし生けるものの「自ずから然なる」を見せられると、いつも心が洗われると言うか、撮影も忘れてついつい無心に、見入ってしまうことがある。


2024/02/06
杜鵑(とけん)花の効能
◆杜鵑花だと日本ならホトトギスという草花になるが、先述したようにツツジ、あるいはサツキといった低木。かっては赤色が主流だったかと思われるが、今日ではネット検索すると多種多様な花柄が出ている。面白いことに、子規鳥が血を吐き、その滴った血が花となった杜鵑花には、古来傷を癒やしたり止血作用のあることが知られてる。
◆ところでこの連作の最後に、李白について少し触れてみる。李白の育ったのは蜀−今日の四川省であるが、生まれたのは西域だったそうで、中原のいわゆる言うところの漢人ではなかった。東アジア的な風貌では全くなくて、ウイグルやイランなどの中央アジア系の顔をして、目も青かった可能性が高い。岑参の詩句にある「髯髯緑眼」でもあろうか。
◆君 聞かずや 胡笳の声 最も悲しきを
 紫髯 緑眼の 胡人 吹く
 一曲吹いて なお未だ了わらざるに
 愁殺す 楼蘭 征戍の児
 涼秋 八月 簫関の道
 北風 吹断す 天山の草
 崑崙山南 月 斜めならんと欲す
 胡人 月に向かいて 胡笳を吹く
 ・・・・・・・・
 ( 顔真卿の旅立ちに際して贈った詩 ) 杜鵑owari

2024/02/05
杜鵑と子規そして不如帰
◆むかし蜀の国の望帝が帝位を奪われ、他国へ亡命して死んだ。後にその魂がホトトギスとなり、春になると「不如帰去(かえりたい)」と啼いた。啼くときに血を吐き、その血が滴り落ちて杜鵑花になったと云う。また、ホトトギスの口の中が真っ赤なのは、その吐いた血のためだと云う。
◆子規と云えばやはり、漱石とも深い親交のあった正岡子規だろう。彼は22歳のころ喀血しているが、その頃に俳号(筆名)を子規としたようで、俳句雑誌「ホトトギス」の創刊は、結核・脊椎カリエスによる死の5年前だった。このことからも、彼が文字通りに血を吐きつつ苦吟した姿を想像できるのではないかと・・・・もちろん俳句についても、私は門外漢ではある。
◆望帝の魂が乗り移った子規が「不如帰去」帰りたい−と啼いたとあったが、ここからタイトルを取ったのが徳富蘆花の「不如帰」だったろう。小説発刊当初は「ふじょき」と読まれたようだが、いつの間にか「ホトトギス」と読まれるようになった。これが脚色されて、新派演劇の当たり狂言となったものだが、まぁ乱暴な言い方をすれば、ヒロインが結核で喀血して不幸な運命をたどる・・と、まぁ、そんなところだったか?もちろん、演劇や小説についても、私は門外漢ではある。

2024/02/04
宣城見杜鵑花
◆晴耕雨読ってわけでもないけれど、最近中国詩詞本を開いたら李白のこの七言絶句が出た。杜甫の鴛鴦(オシドリ)同様に、鳥が顔を覗かせる詩詞の代表例の一つかな・・・詩詞に詳しくないのでわからないが。杜鵑とはここではホトトギスを指すが、同種のカッコウ・ツツドリを含めて杜鵑類とも呼ばれる。
◆さて、詩題は「宣城(現安徽省)で杜鵑花(赤花のツツジの一種)を見る」である。
 蜀国曽聞子規鳥 蜀国にてかつて聞く子規の鳥
 宣城還見杜鵑花 宣城また見る 杜鵑の花
 一叫一廻腸一断 一叫 一廻 腸(はらわた)一断
 三春三月憶三巴 三春 三月 三巴を憶(おも)う
◆李白は蜀の国でかって子規(ホトトギス)の声をきいたことがあると言ってる。蜀とは現在の四川省あたり、李白の育った郷里と言っていい。そして、今宣城に来てまた杜鵑(ホトトギス)という名の花を見ている。順序としては多分・・・杜鵑花を見てから、昔聞いた子規鳥の鳴き声を思い出し、故郷を懐かしく想起したものであろう。
◆子規は故郷へ帰りたい帰りたいと、場を移りながら悲痛に啼き続けたと・・・そのために、腸が千切れて血を吐くというのが、この詩の下敷きとなった民間伝承らしい。中国ではホトトギスの声が、望郷の悲痛な鳴き声に聞こえたらしい。子規が啼き始め、杜鵑花が咲くのも春3月、3月は春の盛りだ。故郷の蜀(三巴と意味同じ)が恋しい−というのが、結句のようである。  
           ーつづくー

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